自己愛の本当の意味です。
「【自己との対話】内なる自分の声を聴く 1章 自己愛」
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この意味について記載いたします。
ほとんど、全ての悩み・苦しみの原因は、
自己を肉体に閉じられた、自分だと思うことにあります。
その原因は単純です。
もし、この肉体に閉じられた自己を自分とみなすのであれば、
老い、失われることは避けられないからです。
また、本当に「閉じられた自己」を信じるのであれば、
他者との交流や、愛は不可能になってしまいます。
全ては、物質的な交換や、音声の交換、に過ぎなくなってしまいます。
真の共感も不可能になってしまいます。
同じ空間を共にし、共感し、交流することさえ不可能になってしまいます。
コンピューターに例えるなら、ネットワークに接続されていない、
パソコンのようなものです。
ファイルを通じたデータのやりとり(音声、視覚を通じた交流)はできるが、
ファイルを更新し、通信しあうことができないような状態です。
しかし、本来の姿は、ネットワークにつながり、
大量のデータをやり取りする、インターネットそのものが自己というのが真の姿です。
インターネット上の情報で、必要なものにはいつでもアクセスできます。
そんな状態が真の姿です。
人と、空間を共にすれば、
エネルギーや、感情や、思考を意識的にも、無意識的にも交流し合います。
すなわち、あなたが認識している空間、
出会う人、交流する言葉、それら全てが、
あなた自身であるということです。
こうして、私たちは、多くの情報を交流し合って生きています。
その全てが、自己だという認識ができたとしたら、
それはとても、安心・安全なことだと思いませんか?
「今ここ」の空間に全てがあるのです。
「今ここ」の空間に全てがあり、失われるものなど何もないのです。
この認識は、内的なものです。
「空間」そのものが、自己なのだという認識が大切です。
この認識にある時、至福の状態を感じることができます。
そして、本当の意味で人と共感し、交流することができます。
よもや、「全てが自分、自分の思い通りになる」「思い通りにしよう」などという
究極的に傲慢な考えを持ってはなりません。
それは、閉じられた自己でいるということです。そして、その思い通りにしようということです。
しかし、閉じられた自己でいる限り、思い通りにはなりません。
私たちにできることは、この広大な空間を愛し、感謝することです。
この広大な空間と通信し、欲しい情報をダウンロードすることです。
この時初めて、本当の自由がやってきます。
そして、無限を想像し、創造(クリエイト)することができるようになります。
私たちにできるのは、この空間をコントロールすることではなく、
愛し、感謝し、全てを受け取ることです。
この時に、真の喜びがあります。
愛し、感謝すればするほど、
この空間は多くのものを与えてくれます。
第1章 自己愛より 抜粋————————————
自分を愛することの大切さは強調しても、しすぎることはない。
ただし、この時の自己の認識が誤ってなされてしまうことがある。
この時の自己とは、本当の自分すなわち、真我のことである。
真我とは、何だろうか?真我は、五感で捉えることはできない。
しかし、そこにあるもの。そこにあるすべて。
全てのものに宿るという言い方をすると伝わるだろうか。
そこにある、唯一確かなもの。それを愛することを「自己愛」という。
五感で捉えられないものをどうやって捉えるというのだろうか。
私たちには、心がある。
目を閉じ、五感を閉じたとしても、そこに広がる空間のようなものがある。
それは広大で、無限の広がりがあるだろう。
それが、真我だ。意識とも呼ぶ。この空間には、あらゆるものを配置することができる。
スクリーンのように、イメージしたもの。感情、思考。などなど。
この広大な空間を愛するのだ。それを「自己愛」と呼ぶ。
この空間は、愛すれば愛するほど、いろいろなものをくれる。
何でも手に入れることが可能だ。
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