内面の声をそのまま記載致します。
偉そうですいません(笑)
文章の旋律・行間・順番、全てに意味があり、
読むことで「目覚め」ていくことを意図して、
書いております。
ピン!ときた方は、順番に
何度も読まれることをお勧め致します。
第9章 真実の瞬間
閉じられた自己の状態が通常であるならば、対立は避けられない。
しかし、私たちには対立を超え、つながり続ける能力がある。
違いを超え、真実にたどり着く体験をすることができる。
広がる空間である真の自己を体験することが可能である。
それは、閉じられた自己よりも、他の自己を大切に思う気持ちからはじまる。
そのほんの小さな意欲が、我を忘れさせてくれる。
迎合するのでもなく、犠牲をするのでもなく、閉じられた自己を超え新たな認識から全面的に与え、
他の自己を大切に思う、ほんの小さな意欲があれば、充分である。
例え、対立の中にあったとしても、そのほんの小さな意欲が出口を示してくれる。
また、もし他者 のこの気持ちを感じることができたなら、それもまた十分である。
両親のその気持ちを感じることができたらならば、それは幸せなことである。
それこそが真実の瞬間。
真実の瞬間を、選択し体験していくことほど、喜ばしいことは何もない。
第10章 愛の広がり
真実の瞬間の積み重ねは、喜びだ。
真実の瞬間が連続的に体験される時、愛は拡張する。
愛の広がりは、開けた空間である真の自己の認識を可能にする。
開けた空間に我が身を置くことほど、心地よいことはない。
その時、体の中にいることが、とても心地よいものになる。
愛の拡張の感覚は、限りない喜びだ。肉体の快楽などその比ではない。
いや、その時初めて、肉体を喜びの中で感じ、つながることが可能になる。
本当のつながりが可能になる。
愛を広げること以上の快感は、存在しない。
第11章 天命
このことが理解できるようになってくると、一人ひとりの固有の視点を持ちながら、
愛を拡張していくことが天命となっていく。
これこそが、喜びの拡大であり、ライフワークだ
それは、広がる空間を認識しながら体を通して、愛を広げていく活動だ
閉じられた自己にとって、愛は時に恐れをもたらす。
閉じられた自己に取っては、馴染まない感覚だからだ。
しかし、閉じられた自己は苦しみしかもたらさないため、
その悲鳴はいずれ助けを求め出すことになる。
その呼び声に応えていくことこそが、天命となる。
そしてこのことに対しては、一人ひとり固有の代替し得ない才能が与えられている。
Aさんは、料理をすること。Bさんは、話すこと。Cさんは、書くこと。
それぞれがそれぞれの掛け替えのない、才能を有している。
この力を使いながら、天命を生きる時、この世界に本当の喜びをもたらすことが可能となる。
この力には際限がない。
この力が無限の豊かさをもたらす。
第12章 仕える事
人は、成人すると仕事を持つ。
あるものは職業につき、あるものは主婦や主夫のように家を守る。
それらの活動に従事し、その能力・専門性を磨く事は限りなく尊い。
さらに、開かれた空間の認識をし、喜びの中で、仕事をする者の価値は計り知れない。
その稀有な活動が広がるとき、この世界は喜びで満たされるであろう。
今、急速にそうした活動をする人たちが増えてきている。
このことは、とてもこの世界においていいニュースである。
*この考えは真実ではあるが、否定しても構わない。否定すれば、苦しみから逃れることは不可避になる。
一方で、否定する人を説得する必要もない。
学びの時期が来ていないと言うだけの話で、いずれ学ぶことになることも不可避である。
なぜならば、その苦しみに人はいずれ耐えることができなくなるからだ。