内面の声をそのまま記載致します。
偉そうですいません(笑)
文章の旋律・行間・順番、全てに意味があり、
読むことで「目覚め」ていくことを意図して、
書いております。
ピン!ときた方は、順番に
何度も読まれることをお勧め致します。
第6章 真実
私たちは、歴史を積み重ね多くの文化的発展をし、技術的な革新を行なってきた。
その全てが尊い。しかし、真に尊いのは、その中にある果実だ。
色とりどり、百花繚乱の人種、文化文明。空を飛び、月に行く機械、瞬時つながりをもたらす通信機器。
それらの全てが偉大だ。しかし、真に偉大なのは、その中にある果実だ。
そこに、人々の喜びがなければ、そのことに何の意味があるというのだろうか。
私たちの心の中にある、湧き上がる喜びこそが、真実だ。
それ以外は、単なる道具だてにすぎない。単なる舞台装置だ。
しかし、時に私たちは、この舞台装置の一部になり下がる。
現代社会においては、私たちはお金や経済を、あたかも自分自身よりも大切な神であるかのように崇めている。
戦争の傷の痛みを感じないようにするために、
閉じられた自己の苦しみから逃れるために、お金を崇拝し追い求める。
お金も、経済も尊い。大切なもの、無くてはならないもの。便利でありがたいものだ。
しかし、生命、瞬間瞬間を生きる私たち自身の喜びよりも大切なものなど、何もない。
そのことこそが、真実なのだ。そのことのみが真実なのだ。
第7章 世界という幻想
あたかも存在するかのように、移ろいゆくこの世界は幻想だ。
それは、私たちのモノゴトの認識能力は閉じて限定的だからだ。
行き交う人々、車、建物、空、それらすべての、正しい姿を私たちは認識していない。
Aさん、Bさん、Cさん。それぞれの視点で、それぞれ異なった認識をしている。
その固有の認識は尊い。
ある人は、今日は最高の日で、ある人にとっては最低の日だ。それ故、認識は限定的で限られている。
ある人とって、戦争は悪であり。ある人にとって、戦争は聖戦であり。
ある人にとって、戦争は勝利であり。ある人にとって、戦争は敗北で死だ。
閉じた自己が正しい認識をすることは不可能だ。
こんな世界が存在しているということができるのだろうか?
もしこれが、真実だというのであれば、Aさん、Bさん、Cさん。
それぞれの人の数だけ世界が存在しているということになる。
そんな世界において、理解し合い、交流することなど不可能になってしまう。
理解し、交流しているフリしかできない。
しかし、私たちはつながりを求める。愛のある交流を切望している。
愛のある交流を求め、その不可能性に失望し、絶望する。
閉じられた自己から見る世界は、失望と絶望に満ちている。
一時の快楽、と失望の限りない循環だ。
閉じられた自己の限られた世界を見ている限り、幻想の世界を生きることになる。
ここに出口はない。
第8章 遍在する愛
交流の不可能性に失望しながら、私たちはつながりを求める。
恋をし、つながり、家族の絆をつくる。
集団やコミュニティに属し、同じ価値観のつながりを感じようとする。
それらの全ての活動が尊い。
全く、愛の感覚を知らない人など存在しない。
閉じられた自己の感覚を超えた、愛のつながりを持ったことのない人などいない。
誰しもが、遍在している瞬間の愛を体験している。
それが、持続しないだけだ。
母性の愛なしで、成人することは不可能だ。
父性の愛なしで、生き抜くことは不可能だ。
愛は、そこかしこに遍在している。
遍在する愛のメッセージを受け取っている。
ふとした瞬間に目にした花に、空に、雲に、目の前の人に、その「しるし」視る。
この世界にあって、実在を知らせるものたちと出会う時、深い感動と喜びが生まれる。
それは、この世のものとは思えない美しさを放つ。
それは、二人以上の人が心を一つにした時に現れる奇跡の瞬間。
その体験は、何者にも代え難く尊い。