金持ち父さん、貧乏父さんのロバート・キヨサキ氏が、この概念を紹介し、多くの影響を世の中に与えました。
資本主義の本質を突く、内容であり私も感銘を受けました。
しかし、私が考えるラットレースの意味合いは、一般的に考えられている考え方や、ロバート・キヨサキ氏のものとは異なります。
一般的には、「不労所得を得ることで、経済的な自由になり、ラットレースから脱出する。」という風に考えられているのですが、
私は、その道は苦しみの道だと考えています。
ラットレースは、会社員、主婦、契約社員、派遣、アルバイトなど、どの立場にいても一定の条件が揃えば、
自由を手にすることができます。
むしろ、投資家や、ビジネスオーナーであっても、周囲との比較や、評判を落とすことに怯えていたり、失う恐怖の中でプレイしていれば、レースの車輪は大きく苦しいものとなります。
動かすお金の額が増えるといことは、それだけ、背負うものや影響力も大きくなるからです。
(もちろん、投資家、ビジネスオーナーの中にも真の自由を得る人ことも可能です。)
究極、稼ぐ額の大きさは、本当の意味で自由であることとは、あまり関係がありません。
衣食住があり、バランスの取れた時間の自由と、ある程度のお金の余裕が確保できれば、十分です。
反対に、下手にレースの車輪を大きくしてしまうと、抜け出すのが難しくなります。
社会的な責任と影響範囲が大きい中で、車輪の輪から出ることは、勇気がいるからです。
段階1.と段階2.では大きくルールが違うのです。
段階2.への移行には、心理的な勇気が必要です。
段階2.では、今ここを100%楽しむ、自分が喜ぶことを、経済的な損得を超えて絶対的な優先順位一位に持っていきます。
そのため、社会的ポジションにこだわりすぎると、脱出が難しくなってしまうこともあるのです。
むしろ、会社員、主婦、契約社員、派遣、アルバイトなどで、身軽な方がいいくらいです。
また、投資家、ビジネスオーナーになり、不労所得を得て自由になるという概念の中には、労働が苦痛であるという前提があります。この前提を置いている限り、‘真の自由’を得ることはできません。
なぜなら、労働を喜びの中で行い、お金というエネルギーを、楽しみながら循環させることこそ、‘真の自由’なのですから。
真の意味で、ラットレースから脱出するには、生命、喜び、家族、友人、仕事の尊さを最優先にし、
お金をツールとして使いこなすことが、必要になります。
そうすることで、楽しみながら、稼ぎ、望むものを手に入れていくことができるのです。